スナバコ

二人と茶会

夕暮れの近づく頃、円回廊の館に家畜は少ない。大きな円形の中庭にいるのは、鶏と、数頭の羊や山羊。怪我や病気でもしてなければ、この季節は夕暮れまで放牧に出すのが常だ。外の濃い気配に比べ、庭は静けさに包まれている。

(しかしまた、可笑しなことになったものだ)

女領主は中庭を眺めていた。隣に座すは、目が隠れるように頭巾を被り、黒っぽい装束に身を包んだ男。ウル=ルシヤ峠前の怪我人は、すっかりただの呪術師に戻っていた。

「ああ、秋祭りの笛が聞こえますね」

呪術師の存外聞きやすい声が、領主の間に近い客間から流れる。中庭向きの戸は全面取り払われ、放たれた声は晴天の青へ消えた。

「この掛け合いは、どのような方の奏ででしょうか」

呪術師が気に掛ける旋律は、時につっかえるようで、時に駆け走るようで、いかにも覚束無い。ようやく口の当て方を覚えた、幼い奏者らしき音色である。

女領主は、呪術師のように耳を澄ますことはなく、紡ぐ言葉も一拍の後、静かに零れた。

「七にもなる頃、たいていは父に、奏者やら踊り手、祈祷師といった作法を習う。あやつらも、秋に奏上することになろう」

呪術師の他愛ない問いに応えるも、随分日常と言えるようになった。この客間へ案内し、麦の茶で持成すのは、女領主一人の仕事と決まっている。彼女は呪術師を丁重に扱うも、蔑ろにするもない。赤茶の目に水鏡の如き静けさを湛え、淡々と相手する。

そのあっさりした様を、呪術師も拘らない。柔らかくゆっくりと、句が重ねられる。

「初物奉納ですね。ケニさんの時にも、多くの人に見守られたのでしょう」

呪術師の高く澄み、すぅっと消えていく声は、耳に心地よい。親しみやすく振る舞う様は、おおよそ呪術師らしくなかった。

(妙な因果もあることよ)

館の皆が不安がる様とは対照的だ。恐れぬただ一人である女領主は、緩く吐く息に言葉を乗せる。

「あの年は多くなった。9人もおって、今年は4人あればいいということじゃが」

女領主はそれきり、静かに唇を結ぶ。膝に重ねる手、風が遊ぶに任す濃紺の髪、閑散とした庭に向ける眼差しは微塵も変わらない。

「ケニさんの年は、良き、思い深きものとなったのですね」

そう言って呪術師は麦の茶を口に含んだ。女領主は、応えず中庭を眺め続ける。そのまま静かな刻が流れ続けるかに思われた、その時だった。

キンと鋭い音が立つ。体を捩らせた呪術師の、例の術具が擦ったのだった。

女領主は、何かに反応した呪術師を注意深く見守った。部屋、庭、館の外…… 取り立て変化はない。呪術師が右奥、館の南東へ目を向ける以外は。

「……あちらは、何の部屋ですか」

「何か」

女領主が問うと、呪術師は視線を外し、俯き、口を横一文時に結んだ。開け放たれた客間に風が入り込み、黒い装束をはためかせている。女領主がそれを眺めること暫し、ようやく、重苦しく音が漏れた。

「今、呪が膨らんだのを感じました」

女領主は眉間にしわを寄せた。そして口を覆うように手を当て、赤茶の目を鋭く光らせた。